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2011/09 Denali N.P

Black Bear

11年9月 デナリ国立公園

14年ぶりにデナリを訪れた。公園入り口のハイウェイ沿いにはホテルやギフトショップが立ち並び、ついにここも観光地化されたのか、という感があった。しかし、公園内のキャンプ場に泊まり、シャトルバスの車窓から見る秋の風景は、以前のままだった。

初めてここを訪れたときの第一印象は、なんと野生動物を見やすい場所だろう、ということだった。26年前のことで、僕が日本で野生動物を追っていたころだから、そう感じたのは当然だったと思う。しかし今では、野生動物はいるところにはいる、という予備知識があるので、そう簡単には感動できなくなっている。

今回デナリを歩いて再認識したのは、そのとてつもない広さだ。ある稜線に立って、四方に連なる山々を、大地を見たときに、僕はしばし放心してしまった。感動したとか、幸福だったとか、そんな言葉では表現しようもない心の状態だった。おそらく青年時代から26年を経て、この広がりの風景と、さまざまな過去の思いがリンクしたのだと思う。オヤジだってセンチになるのだ。

その大地にカメラを向けた。広がりを写しこもうと、広角にすればするほど、一つ一つの山は小さくなり、空と地平線だけの、お決まりの絵柄になってしまう。写真作品にもならなければ、思い出の保存にもならない。僕にとって最も難しい被写体が、「広がり」だ。

Denali N.P.

帰路。アラスカからユーコンを経て、BC州をカシアハイウェイ(37号線)で南下。原野が延々と続く。イエローヘッドハイウェイ(16号線)にぶち当たると、そこからは人間が支配する土地に変わっていく。大陸だから大地はそのまま続くが、原始の自然は細切れになり、僕の心を高揚させる広がりは消えていく。3ヶ月に及ぶ旅の後遺症で、人工物に囲まれると違和感を覚える。北の大地で自給自足などできないくせに、身勝手なものだ。

モンタナへ戻ってからしばらく、僕たちはなるべく人に会わず、隠れるように暮らした。雑事を考えなくて済むように心にフィルターをかけ、旅の余韻に浸っていた。

走るグリズリーを、妻がビデオで撮影。