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2013/01 Elk

Elk

13年1月 エルク

1月中旬から、イエローストーンに来ている。昨年までは、ミニバンでオートキャンプだったのに、今回は1ヶ月契約でコテージ泊に格上げ。毎朝暗いうちに出発するのだから、まっとうな遠距離通勤サラリーマンなみに勤勉なのだが、観光地で首からカメラをぶら下げ、車には妻と愛犬が同乗しているので旅行者に見える。ここでは写真家と旅行者と自由人はほぼ同義語だから、職業を誤解されてももちろんかまわない。

冬のエルクの仕事は、おおかたの他の草食動物同様、草を食べることだ。十分な草を食べられなければ、彼らには餓死が待っている。たとえ枯れ草でも雪さえなければ腹を満たすことができるのだが、ロッキーの冬に雪はつきもの。積雪が少ない場所を選び、前足で雪をかいて、わずかに出現した枯葉や、草の穂を食べる。その繰り返しは、まさにひたむき。彼らの採食行動が「生きる」ことに直結しているという思い入れを持って見つめていると、雪をかき、草を食べるというシンプルな反復にずしんと重みを感じる。

さて問題は、僕が写真家という理由で、理屈抜きの「絵柄」を要求していることだ。草食動物が草を食うという行為は、たとえ当人が命がけで雪をかいていたとしても、絵柄としてはあまりに凡庸である。そりゃあ雪が深くたって食うのが当たり前でしょ、と言われたら返す言葉もない。冬のエルクが採食する意味や重みを、言葉ではなく絵柄で現さなければならないというのが、僕の究極の課題である。

その日の午後、僕が追っていた4頭の雄は、なかなか立派な角をかかげ、採食と休息を繰り返していた。撮影の課題がまったく解決されず思考停止状態に陥っていた僕は、ひたすら草を食べるエルクを、ひたすら画面に入れシャッターを押し続けていた。バックの空間を赤みのあるヤナギが占めればシャッターを押し、雪面に角の影が落ちればシャッターを押し、右足で体を掻いても、左足を耳に突っ込んでもシャッターを押す。頭が働かない時は、記録係である。

ELK

暖色の太陽が、西の丘に近づいてきたころだ。採食していた2頭のエルクのうち片方が、おもむろにもう1頭に近づくと、角突き合いを始めた。その場の雰囲気と情況、彼らの動きからそれが闘争ではないことは明らか。力比べでもなさそうで、軽い挨拶といったところか。それでも写真の絵柄としては申し分なく「絵的」であり、僕はかなりの満足を覚えた。

しかし、だ。そこで彼らが角突き合いをしようがしまいが、「生きる」ことにはそれほど影響がないのではないか。自称、野生動物の生きざまを撮る写真家としては、安易に満足してはまずいんじゃないの?と自戒する

いつか、納得のいく「採食するエルク」の写真が撮れるだろうか。それはエルクのことをもっと理解して、思いきり感情移入できたときではないかと思う。記録係のようにチャンスを待つのではなく、エルクの内面にある何かを発見したときではないかと思う。実は写真家とは、日々自己研鑽に励まなくてはならないという意味で、お坊さんと同じくらいつらく厳しい職業なのである。

エルクの角突きのシーンを妻がビデオで撮影。YouTube でご覧ください。